原発事故関連教材紹介

2011年3月11日の福島第一原発の事故以来、われわれは否応なく放射線と向き合いながら生活していくことになりました。このページは、公益社団法人福島原発行動隊の活動の一環として、原発事故や放射線、放射性物質について説明した書籍、PDFなどの教材、資料を集めたものです。記述の難易度や内容について一定の評価を行いました。評価の記述は、あくまでそれぞれの執筆者個人によるものであり、目安にすぎませんが、教材などとして利用される際の参考として、ご活用ください。
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【コラム】 「イワノフのコップ」〜アルコールは放射線被曝の有効防御?〜



内容の程度専門的やや専門的一般向け中学生小学生
     
図版類の使用程度
(写真・イラスト・表)
図版主体図・文半々文章主体
   

内容項目  \  評価非常に詳しい詳しい一応の説明少しなし
原子力発電の事故
原子力発電のしくみ
原子力発電と社会・経済・環境
放射性廃棄物の処理
放射線と放射性物質
放射線の人体への影響
放射線の利用
放射線の測定方法
放射線から身を守る
除染について

【コラム】
 「イワノフのコップ」なる表現をお聞きになったことがありますか。

2013年3月刊行の「知られざる日露の二百年」(著者 アレクセイ A キリチェンコ  現代思潮新社)の第六章五日間の満州電撃戦の部分に、次の記載がある。

「ロシアの原子力施設で働くすべての従業員は一ドーリャ(四四ミリグラム)のアルコール摂取が義務付けられた。原子力潜水艦隊ではこのドーリャのことを「イワノフのコップ」と呼んでいる。実際水兵たちはイワノフが誰であるかなど知らない。」(166ページ)

このありふれたロシア名のイワノフとはいったい誰なのか。

1945年8月16日、17日の両日、スターリンの命令で二名のソ連人諜報員が広島及び長崎を視察した。一人は、ソ連公使のミハイル・イワノフ、いま一人はソ連大使館員ゲルマン・セルゲーエフである。広島と長崎の爆心地まで足を運び、その惨状をつぶさに観察したという。
視察後まもなくセルゲーエフは気分の悪さを訴えるようになり、彼はモスクワに帰任した。しかしながら、彼はまもなく当時不明であった病気、放射線被曝によって亡くなる。
一方のイワノフは東京でさらに一年勤務し、その後モスクワに召還され軍事病院に入院させられ一年を過ごす。その間、八回の輸血やあらゆる面から体中検査された。

検査の結果だされた結論は、なんとも「彼を救ったのは、「サントリー」ウイスキー、すなわち血中のアルコールだ」という。
アルコールは放射線被曝にたいする有効な防御であり、彼はセルゲーエフと違い原爆視察調査の途上で飲み続けていた、と。

イワノフとは、当時のソ連公使ミハイル・イワノフを指し、この一件以来、彼の名前を冠したアルコール摂取のことを「イワノフのコップ」と表現するようになったという。

イワノフは、1970年代にも武官として日本滞在、その後は軍事・アカデミーで教鞭をとった。2012年11月19日、イワノフは100歳を迎え、奥さんと二人、ひっそりとモスクワで暮らしている、とある。

噂の類だが、チェルノブイリでの事故のとき、運転員の誤操作はアルコールでヨッパラっていたから、というのがあったが。もしかすると、職務上の義務としてアルコールを摂取していたのかも知れません。
また、福島原発事故で現場の収束作業員は、作業後にビールを嗜む人が多いとも噂で聞くが、これまた被曝防護として飲んでいるのかもしれません。

今後、アルコール摂取のときは、「イワノフに乾杯」と唱和したいものだ。
(家森健)