3.11以後の120日を振り返る――私はなぜ行動隊に賛同したか

矢吹晋

略歴=1957年福島県立安積高校70期卒。原発冤罪で投獄された佐藤栄佐久元知事は1年後輩で生徒会長のバトンを渡した関係。62年東大経済卒。横浜市立大学名誉教授。

福島原発の事故について
佐藤は06年に別件逮捕され、08年に一審有罪判決を受けたが、これは「原発と道州制」で政府の方針に抵抗したことによる冤罪事件であることを私は当初から知っていた。5期18年目を迎える人気知事を冤罪で葬りながら強行するプルサーマルの危うさに気づく。私は佐藤に対して、もはや歴史的解決以外に名誉回復のすべはない。「知事として何を考え、どのように行動したかを記録すること」しか道はない、と説いた。
3.11の2日後、私はメルトダウンを確信して『劉暁波と中国民主化のゆくえ』(花伝社)
の「まえがき」に、「福島原発メルトダウンの報道に接しながら」と記した。一方ではフクシマダイイチの悲劇が佐藤の冤罪を晴らすことを期待するとともに、他方でプルトニウム禍を危惧した。
5月19日、ツイッターに福島棄民から届いた訴えを書いた。「川内から郡山に避難したところ、川内の方が線量が郡山より遙かに低い。20キロ、30キロの同心円線引きは全く実態に合っていない。福島の渡利地区・大波・森合公園、二本松、本宮、郡山の一部、伊達市霊山の放射能値は非常に高い。即刻避難地区とすべき。国も県も無策」と。

行動隊に参加した動機
4月10日山田恭暉さんからメールが届き行動隊の企画を知った。即座にツイッターするとともに、「体力・技能からして、隊員参加は無理というか、足手まといになるおそれ大ですが、応援には参加したい」と返信(14日)、カンパに応じた(23日) 。

若い人たちへのメッセージ
「最高検公判部長大鶴基成氏が8月1日辞職した。小沢一郎陸山会デッチ上げ失敗のためと解説されたが、彼の前科はこれに止まらない。佐藤栄佐久の「知事抹殺」を直接指揮した責任者でもある。春秋の筆法だが、もし旧友佐藤の冤罪事件がなければ、フクシマダイイチの悲劇は避けられたかもしれない。日本国のメルトダウはこのとき開始した」と私はツイッターに書いた。これが日本再生の第一歩になるか。それともトカゲの尻尾切りに終わるか。原発事故以後の一連の動きを見ていると、原子力安全神話は、無数の破綻を示しつつあるが、依然として主流の体制であり、御用学者予備軍も後を断たない。日本は広島長崎の被曝体験を活かしきれずに、広島の20コ分の放射能をみずからの手で拡散した(児玉龍彦教授衆院厚生労働委員会証言7月27日)。広島・長崎の被曝体験を最も詳細に記録したのは、日本学術会議編『原子爆弾災害調査報告書』(総括編、1951年)および『原子爆弾災害調査報告書』(第一・第二分冊、1953年)である。これこそが原点とならなければならない(不二出版から近日復刻予定)。