川内村モニタリング報告(2012年12月19日実施)

以下は、2012年12月19-20日に行動隊モニタリングチームが実施した川内村におけるモニタリング測定作業に関する報告です。

実施日時:2012(平成24)年12月19 – 20日
実施場所:福島県双葉郡川内村
参加者:塩谷亘弘(団長)、伊藤行夫(東京在住)、伊藤勝芳(いわき市在住)、家森健、室岡喜一郎
報告者:室岡喜一郎

要旨:

塩谷、伊藤(行)、伊藤(勝)、室岡の四名は、公的除染を済ませた家屋の所有者より線量モニタリングの依頼を受け、初日19日に室内外にて30ヵ所を越えるポイントで計測を行った。

結果は、屋内の表面及び高さ一メートルで毎時0.1µSv台と、都心とほぼ同程度であり、天井に近い所でも0.3µSvは越えておらず、生活に支障をきたすレベルではない(詳細は塩谷団長の公式報告書を参照)。

ただし屋外の田畑、私道、農道、雨水枡、側溝等はまだ除染されておらず、ある排水口直下では7µを越えるホット・スポットが見つかった。またアスファルトの農道と田畑の境目は1µを越えており、最大3µ台のホット・スポットもあった。

翌20日は、家森と室岡がレンタカーで、広範囲にわたって仮置き場や除染対象家屋の下見調査を行った。線量は予想に反し概して低く、地表でも千葉県の松戸市、柏市並みの線量(0.3-0.4µSv)であり、ホット・スポットも3µを超えるものは見つからなかった。

以上まとめれば、川内村の汚染状況は「薄く広く」と思われる。

詳細

19日の朝、東京より新幹線で郡山に向かい、10時半頃に目的の民家に到着して計測を開始する。事故前、この家には、三世代にわたる大所帯が暮らしていたが、現在は祖父が一人で暮らしているだけで、いわき市に避難した息子夫婦が週末に様子を見に戻る程度だとの事だ。部屋には子どもたちの賞状や遊び道具、本などが残されており、事故前の生活が偲ばれる。

家の正面右手には石垣で囲まれた和式の大邸宅が建っている。その石垣から太い排水パイプが突き出ており、その下の枡で水を受けて、側溝に流すようになっている。枡の周辺を計測したところ、最大毎時7.2µSvの線量が計測された。おそらく枡の容量を上回る降水量があり、溢れた汚水が自然濃縮を繰り返して高濃度の汚染になったと思われる。

田畑の中央には幅3メーター程度のアスファルト道路が通っており、それに沿って側溝が走っている。道路と側溝の間の土の部分を測ったところ、大体1µを越える数字が出た。また個所によっては3µが計測された。

田畑の表面は大体0.4µ強あった。また約15センチ掘り下げ、コリメーター(鉛の遮蔽筒)で測点を絞ると約半分の0.2µ台に低下した。表面近くに粘土層は無く全体に砂地なので、30センチ程度の反転耕をすれば自己前の水準に戻ると思われる。

翌日(12月20日)は、まず最初に川内村の仮置き場を訪れた。ここは山を切り開いた原野で、野球場程度の広さがあり、汚染物の詰まったフレコンが並べられて、上は緑のシートで覆われている。すでに全体の面積の8割程度が埋まっており、別の場所に新たな仮置き場が造られて搬入が盛んに進められていた。

次に、除染作業実施後の計測を希望する別の家屋に赴いた。家は谷間の清流に沿って走る道路脇に建っており、われわれが到着した時には30名程度の除染作業員が裏山で枝打ち、枯葉集めの作業の最中だった。住宅周辺を計測したところ、空間線量は0.7µ台あった。平地に比べて線量が高いのは、両側の山からの影響と、風の通り道になっている道路と清流の影響と思われる。

許可を得て家屋の外回りを計測した。雨水の溜まりそうな所は表面でだいたい1µ半ばあり、もっとも高い所では2µ強の線量があった。ただ10µを越えるような高いホット・スポットは見られなかった。

その後、川内村役場を訪れ、湯治場前の駐車場を測って見たところ、地高1メートルで0.1µ台、地表でコリメーターを使うと0.09µと小数点二桁の値が得られた。また公的除染が済んでいる小学校と中学校の入口でも計測したが地表で0.3µ程度だった。

村内には環境省のモニタリング・スポットが数か所あり、常時、地高1メーターの線量を示しているが、アロカ・シンチレーター及びガイガーFUKUSHIMA線量計で測ると、いずれのモニタリング・スポットでも国の表示している値よりも約二割程度高い値を示した。

その後大熊町から福島第一原発近辺へのアクセスを試みたが、関係者以外立ち入り禁止ということで大熊町に入る検問所で阻止された。