「新浪香港新聞」に福島原発行動隊が報道されました(日本語翻訳追加)

日本400余老人組行動隊將赴福島核電站第一線
http://news.sina.com.hk/news/12/1/1/2371778/1.html

日本語翻訳:伊東ともみ

日本400人の高齢原発阻止行動プロジェクトが福島原発へ

 7月1日、400人余りの退役した元技能者・技術者のボランティアによる「福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト」が結成されました。
彼らは近々福島原発の最前線に行く予定です。
 日本参議員会館にて、山田恭暉さんが「放射能漏れを撲滅の為、命を惜しまない、我々は高齢者であるこそ、被爆に恐れない、
長年の知恵と技術を生かし、福島第一原発の放射能漏れの撲滅に貢献したい」と呼びかけている
 山田さんは、この行動プロジェクトの発起人であり、組織の代表もある。山田さんは、報道陣前に、人生後半の目標を語ってい
ました、意志の強さに、72歳の高齢にはとても見えないが、唯一の左の額にある黒シミは、年輪を隠せません。

*原発に対しての複雑な心境
 多くの高齢者のように、山田さんも原発に対して複雑の心境を抱えている。長崎・広島原発事故があった当時、6歳の山田さん
は韓国のソウルにいたが、原発による被爆に対しての恐怖は心にずっと残っていた。
 東京大学在学中、山田さんは左翼學生運動団体属し、リーダーとして核兵器の撲滅運動デモを積極参加してきた。
逮捕されたこともあった。
 1962年大学を卒業し、世界有数の鉄管製造メーカーの住友金属に就職し、28年間を渡ってエンジンニアの仕事をしていた。
以来、核問題への感心が絶えません。右翼派は憲法や核兵器無保有等を改正しようとした時、山田さんは抗議のデモに参加した。
 2010年、左翼団体が東京大学にて反核兵器活動50周年の記念パーティを主催し、その際山田さんは団員に2,000通以上の
電子メールを送付し、日本平和運動を呼びかけた。3月の関東地震後、山田さんはテレビやネット等を通じで福島第一原発の
放射能漏れ状況を知り、原発の将来を心配し始めた。高濃度放射能を耐えながら作業している若い作業員を見ると、山田さん
は「こんな危険な仕事、若い世代にやらせるわけには行かない、静観するのはつらい、耐えられない」と自分に言い聞かせた。
 今年の4月、山田さんは「福島原発暴発阻止ブログ」のブログを立上、2,500人ほどの同年代にプロジェクトへの参を呼び掛けた。
このブログの目的は、退役した元技能者・技術者のボランティアによる福島原発作業チームの結成、次第に高齢行動隊が結成
された。

*福島原発への入場券
 6月24日まで、400人余りのボランティアを集め、内大学教授・消防隊員、年齢は30代から82歳。60歳以下の隊員を福島に
行かせないのは山田さんの方針である。山田さんの話によると、彼らは政府の補助や国の税金を一切使わず、今回チーム結成
のきかっけ良心である。一連の地震・津波、原発爆発等による経済不振、山田さんは心を痛めている。「日本はもう安心で
養老できる国ではない」、自分の余力を国に貢献したい。
 山田さんの計画によると、まず5人を選び「福島原発調査団」を立上げ、7月中旬に福島原発に入り現場調査を行う。その後
プロジェクト部員をグループ分けをし、原発現場にて設備修理作業や冷却作業等を行う予定。現在山田さんは政府や東電に
「放射能管理」手続を申請しおり、許可を得次第、即現場へ。早くて7/10になる見込み。最初の仕事は現場作業環境調査である。
 調査団には多くの退役専門家がいる、彼らは残りの余力を国に貢献したい。
 石田和彥さん、63歳、元滋賀県の建築現場作業員。福島原発1号機外壁建設にもかかわっていた。3・11地震及び水素爆発
当時、とても複雑な心境でした。その後、山田さんのプロジェクトを知り、迷わず入団することを決めた。石田さんは入団決意した
時を振り返ると、「妻にその旨を伝えた時、妻に励まされた」
 また、プロジェクトに専門家や元原発作業員以外に、業界外ボランティアも多くいる。例えば、歌手1名と調理師2名がいる。
 伊藤道雄はそのうちの1人である、彼は元小学校の先生、定年後人と人との触れ合い経験を生かし、喫茶店で働いていた。
 山田さんの話によると、福島第一原発が現場設備修理・冷却専門作業員を応募する時に、年齢や経験を問わずに行っていたが、
山田さんはネットを通じて、募集したのはほとんど定年した専門家である。「このチームによる作業は、今以上効果がある」
と山田さんが確信している。

*自らの行動で政府を感動させた
 この民間プロジェックトの力で日本政府の態度を変えた
 山田さんの行動プロジェるを発足した当時、菅首相の補佐官細野さんはこのチームを「決死隊」と名付けた。この言葉は良い
言葉ではないが、山田さん自身も「自分たちは自殺の為行動プロジェクトを発足したではなく、最悪のシナリオを想像しただけ。
プロジェクットの隊員たちは、全力で自分の身を守り、生きて家に帰りたい」
 5月に、福島原発で熱中症・被爆事故が相次いで発生した以来、細野補佐官は山田さんの提案を受入れつつあり。ある記者
会見で、彼は次のように述べていた。「国の為自分の命を犠牲し、この精神は非常に貴重である、しかし政府は彼らに放射能
に被爆されないよう最善な精密検査を行う」
 6月初旬、原発安全担当の海江田日本経済大臣は山田さんと面会した。山田さんの話によると、海江田大臣もプロジェクトを
支援している。
 東電の原発修復工程表や関係専門家の予測では、福島原発の放射能漏れ完全に消えるまで最低10年をかかる、あるいは
もっと長くなる。山田さんも東電の工程表基づいてプロジェクトの行動計画を企画している。
 山田さんはとても計画性がある方で、残りの人生を福島原発と運命共同体になるような計画をしている。山田さんは
「自分は高齢であるこそこのプロジェクトを立ち上げた。日本の平均寿命をみれば、残り人生はあと13-15年、放射能による
後遺症が発症時期は20-30年後と推定される、発症する前にすでに死んでいる可能性もある」
 しかし、若い世代にとては、日本の将来を担いでるし、子供の出産・子育てもあるので、彼らに原発の仕事をさせることはでき
ません。山田さんは、「我々は原発を開発し、原発で作った電気を享受し、原発の安全神話を広げてきたが、今原発が放射能
漏れ事故を起こし、我々は先頭を立たなければならない、これは我々が次世代に対しての義務でもある。」