ドイツの『フランクフルター・ルントシャウ』紙 2011年9月12日記事に、福島原発行動隊山田代表が取り上げられました。
(邦訳記事)
『フランクフルター・ルントシャウ』
2011年9月12日 フランク・ヘロルド記
日本の災厄から6ヵ月
福島のためのベテラン
福島における収束作業は続いている。数百名の退役者が損壊した発電所の作業員として奉仕することを望んでいる。日本の災害担当大臣はこの活動を懐疑的に見ている。
東京発:いや、生きることに飽きたわけじゃない、本当に、と山田恭暉は言う。自己犠牲という考えは私とは程遠い。それでも彼は、汚くて、困難で、ひょっとすると生命の危険さえある作業に就くことを強くもとめる。七十二歳の彼はインターネット、ブログ、トゥイッター、とりわけ口コミを通して、退役者の結集を推し進めてきた。かれらは福島の原子炉施設の現場で、第二次大戦後に日本を見舞った最悪の核災厄と闘う用意がある
多くの元原子力産業の従事者を含む五百人以上の協力者を、「福島のためのベテラン」プロジェクトのためにすでに見いだした山田は、東京のちっぽけな事務所で語る。「たしかにわれわれはみんな六十歳を超えているが、肉体的にはまったく好調だ」と彼は断言する。この顔に皺の刻まれた筋肉質の男を見れば、彼が粘り強くて、頑張り通せることも信じられる。
このプリジェクトの着想はテレビを見ていて浮かんだ、と彼は言う。破壊された発電所の状況を制御するために作業員が闘っているようすが、毎日映し出された。福島原発を経営する東電は、作業員を放射能に汚染された施設で死の危険にさらさぬよう、つねに新たな、熟練した労力をもとめている。当初、東電は、未熟で安価な労力を極度の放射能禍にさらしたと非難された。「とくに若い人びとが損壊した原子炉の近くで働いているのを見て、私は自分にこう言った。いまこそ私の世代の出番だと」と山田は言う。高齢者は明らかに癌に冒されることが少ないことを、彼は文献で読んでいた。
「そこがわれわれ老人のチャンスなのだ」と、機械工学の技師は主張する。彼はその職歴において長くリサイクリングに携わってきた。そして福島で長引いている作業は一種の「リサイクリング」でもある。
新政権とともに災害担当大臣に就任した細野豪志は退役者の活動を懐疑的に見ている。「退役者が寄与を申し出ておられることに、もちろんわれわれは感謝している」と細野は言う。しかしすぐさまこう付言する。「高齢者の方々は自己過信しておられる」
過酷な条件
日本の基準では非常に若くして高位にある四十歳の細野は、自分のオフィスを新総理大臣野田佳彦の官邸に移したばかりだ。彼のもとにはすでに数か月前から危機マネジメントのすべての糸が集中している。もっとも野田の前任者菅直人の下では彼は「首相補佐官」にすぎなかった。
原子炉近くの作業条件が依然として過酷であることを、細野は知っている。三十度前後の気温と高い湿度を重い防護服と放射能防護マスクを着用して耐えなければならない。「専門知識に裏づけられた能力だけでは不充分であり、抜群の肉体的能力も必要である。ところがこれら高齢者のなかには八十歳近い方もおられる。そういう方々にかくも過酷な条件下で働いていただくのは非現実的である」
しかし山田の友人たちはそう簡単には落胆しない。結論はまだまだ出ていないと、かれらは信じている。結局はたえず新たな人員が必要になるだろうし、いつかは労働力の備蓄も尽きるだろう。この間に数名のメンバーが、東電が放射能汚染地域での作業のために設けた研修を実際に修了した、と山田は言う。彼自身もほんの数週間前に敷地の視察を成し遂げた
105百万リットルの汚染水
そこで見たものは、山田を感銘させると同時に不安にした。「ほとんど不可能なことが実行されていた」と山田は認める。瓦礫は除去され、進入路は開かれていた。非常電力供給も持続的に稼働している。たしかに状況は依然として危険だが、さしあたり破滅は免れた。とりわけ、この間に原子炉を持続的に冷やせるようになったおかげで。
すでに温度はときおり100度以下になっていると、東電は述べる。温度がつねに下がっていれば、原子炉は制御できる。いまのところそれは福島の原子炉には一基として該当しない。しかも放射能に汚染された水を処理しなければならず、それは約105百万リットルにおよぶ。周辺ほぼ200キロメートルの土壌も汚染されている。この問題にも立ち向かわなければならない。
しかしすべての前進は応急措置によって達成されており、それが心配だと、山田は言う。原子炉の冷却は巨大なシャワーにほかならず、水の供給はプラスチック管で成り立っている。放射能が発電所施設から洩れるのをなんとか防いでいるのは、現下では被膜したプラスチックシートだだ。そして放射性の瓦礫がどうなるのかも、だれにもわからない。「これは長い旅になる」とベテランは言う。