塗矢康三/福島原発行動隊への参加出来ればとの願い

 

【簡単な職歴】
私は直接的に「原子力発電」に係る業務経験は有していません。主な職歴は;
1) 32年間の大手電機メーカでの研究開発(30年間)及び知的財産権訴訟における技術担当としての業務経験。(2年間)
2) 半導体技術を核とするSDカード関連ベンチャー企業の研究所長。(3年間)
3) ”ネロ・イスラム解放戦線”のテロが続くフィリピン共和国ミンダナオ島Bislig市(ジャングルに囲まれ孤立した町)ラサール大学で「太陽光発電」と「ロボット工学」を教えていました。(日本財団より1年契約での派遣)
これら過去の経歴で培われた、私自身の特徴を集約すると;
1) 研究生活と訴訟業務で培った、「解決策を見出す事が難しい課題」を現状分析し専門技術を有する人の「知識」と「知恵」を活用しながら、「白黒」をつけるのではなく、現状と理想の「最適妥協点」をベースに課題解決までのストーリ(戦術)を作りだす現場叩上げのマネージメント力
2) 内戦・貧困が日常茶飯事のフィリピン共和国南スリガオ州ビスリグ市(Magagoy地方)での現地の方々との交流を介し、大自然を基盤とした質素な生活の中で「自然への畏敬と実生活の調和」について考える機会を得、大企業・先端企業で働いていた自分の中に「貧困から得られる自然と調和した豊かな生活」、「高収入から得られる便利で豊かな生活」を考える機会を得た事だと思います。

【福島原発事故について】
フィリピンの学生達に「太陽光発電」の理論と実習の教育期間中に、韓国政府と韓国企業、そして教育機関への資金援助を連携させ「世界の地の果て(ミンダナオ島南部)」までも、原子力発電所の売り込みが続いた。技術の完成度と投資対効果を考えると「世界の地の果て」でも「地底に眠る埋蔵資源を考えれば、原子力発電がこの国、この地方への貢献度が高いのでは?」と思ったが、「その発電所が持つ危険性」にまでは考えが及ばなかった。学生や市役所からの問い合わせについても「危険性」について言及したことは無い。(事故は起こり得ないとの誤認があった)

我々の世代は「スリーマイル島原子力発電事故」に対しては1通のFAXに係るヒューマンエラー。「チェルノブイリ原発事故」に対しては閉ざされた国の出来事として内面で扱い“日本では起こり得ない”と思っていたかも知れない。他方、現役時代において商品の開発・設計段階では「品質確保と最適設計」を要求され、それに威信を掛けて対応してきたのが我々の世代である。福島原発事故で議論になった一つが「最適設計」の範囲についてである。今回の事故でリーダシップを取る閣僚たちの多くは「最適設計と市場ロス」について深く考え、経験する機会の少ない人達であると思う。どんな商品を設計しても“必ず市場では想定外の市場不良”が発生する。全ての企業経営者は全ての商品において“想定外事象は必ず起こる”を前提として対応処置を講じ、資金引当や専門部署を設けている。原子力発電事故において「想定外の事象」に直面しても、税金から大規模な予算の投入に懸念があり、問題を長期化させた時の経済ロスが計算できなかったと思う。しかし時代を先行し時代のトップを走るのであれば「与野党」共にそのリスクを認識し「命を守る」と云う観点から先進国に相応しい俊敏な対応を取るべきであった。今回の事故は事後処理において“想定外”の事象に対する知識と経験則、そしてリーダシップ(「私はこの事故に対する全ての責任がある」と云う自分の地位に対する首相の責任感)が不足し、結果的に安易な“先端技術否定”の世論を形成したと思っている。人災の中のマネージメントミスである。私は現在なお原子力発電に対しては当面容認の意見を持つ、一人の日本国民である。

【行動隊に参加した動機】
今、我々の世代が出来る事は「Yes」か「No」の青臭い判断をすることでは無い。貴重な資源(人・物・金)を使い「大自然の畏敬」を少し疎かにした時代の証を後世に残すために授かったチャンスである。行動隊の最大の魅力は60歳以上で、その“お世話になった社会に対する恩返しの気概”を感じ、適職は見つからなかったが、取り敢えず応募した。

【若い人達へのメッセージ】
恵まれた経済環境の下、ユビキタス社会を代表する端末を自由に操作し、社会風潮をいち早く取得し、穏やかで品行方正な若い人達が大多数を占めていると感じています。
“目”から得た情報を“脳”で処理する事で“知識”を蓄積出来ます。学校では“知識”を蓄積します。現場に行き、身体を使い「現状課題」の解決には“知恵”が要求され、リスクが付き纏います。残念ながら“経済的な豊かさ”と“知恵の産出量”は反比例し、“ハングリーさ・リスクを冒した環境下”と“知恵の産出量”は比例します。 間違いなく日本は「質素・倹約」を余儀なくされる時代が到来します。若者達は過っての「経済大国」の延長線上に自分のLife Planを置いて偏った教育を是認していませんか。ただ「原発がなければ安全」との経済性を無視した総論を自分の意見としていませんか。より安全な原子力発電に向けて
世論の非難を浴びても、自分の英知を「安全な原子力発電技術」に捧げる気概はありませんか。大切な事は自然に畏敬の念を抱き、自然の振る舞いを受け入れ自然と先端技術の調和を考えた上で、経済効果を狙う時代になったと想います。一概に「原発反対」と唱えずに、今だからこそ真正面から向き合い「知恵」を発揮する「最大のチャンス到来」と考える部分はありませんか。