モニタリング・チーム報告

モニタリング・チーム報告

川内村から飯舘村にかけて国道399号線沿いの空間放射線量率を測定しました

418日、19日の両日、モニタリング・チームの塩谷亘弘、家森健の二人が福島県の近い将来行動隊の活動の場所になるかもしれない川内村などの高汚染地域を視察しました。以下、その簡単な報告です。

今回、私たちは、警戒区域の外縁に沿って南北に走る国道399号を車で走破し、事前調査や除染実験の様子を見ながら併せて各地の空間放射線量率を測定しました。

今回の行程(青色に塗った線が国道399号)

初日の418日には川内村役場を訪問した後、川内村の貝の坂と荻地区に入りました。この地区はこれまで警戒区域として一般の立ち入りが禁止されていた所ですが、41日付で警戒区域の指定を解除されて居住制限区域に指定し直され、現在は自由に出入りすることができます。

春の野山からはウグイスや野鳩の鳴き声が聞こえ、キツネの姿も目にしました。しかし田畝では、白い防護服姿の多数の作業員が本格的な除染に備えての事前調査にあたっていました。放射線量率を測定したところ、場所によっては地上10cmで5μSv/hの数値を示したところもありました。この数値は川内村役場周辺の約10倍にあたります。

この日は川内村に一泊し、翌19日、川内村を発って国道399号を北に向かいました。掛札峠を越えると、田村市から葛尾村に入ります。掛札峠を過ぎた辺りから計測を再開しました。ここからは葛尾村、浪江町、飯舘村と、「計画的避難準備区域」に指定された町村が続きます。

葛尾村は人口が1500人ほどの小さな村で、全村が避難しています。村役場も閉まっていました。村役場の玄関口に設置されたモニタリングポストの数値は0.3μSv/hの値を示していました。

国道399号をさらに北上し、登舘峠を越えると浪江町です。同町は福島県放射能測定マップにおいても高い測定値を示しており、全村が避難しています。実際に、車中で測定したところ5μSv/hと高い数値を示したので、私たちもあわてて防護服(タイベックス)に着替え、マスクも装着しました。

浪江町津島地区で測定しました

浪江町の中でも津島地区はとりわけ線量が高い地区です。津島中学の敷地では、作業員が防護服姿で除染作業を行っていました。しかし工事車両の誘導にあたっていた警備員はなぜか通常の制服姿でした。私たちの姿を見かけると向こうから話しかけてきて、自分が高い線量を毎日浴びていることが心配だと漏らしていました。

浪江町の赤宇木清水地区で測定したところ、車内で7μSv/h、地上1mで18μSv/h、地上10cmで22μSv/hときわめて高い値を示しました。

赤宇木清水地区では地上10cmで22μSv/hの数値を示しました

浪江町からさらに北へ、飯舘村に向かいました。飯館村も全村が避難していますが、私たちは、避難せずに自宅に住み続けている80代の老夫婦に出会いました。「自分たちは先もそう長くはないし、避難せずここで一生を終えたい」とおだやかに語っていました。

飯舘村長泥地区の国道沿いの田畝では除染作業中でした。また、一部の田圃では実験的に水張りの準備をしていました。国道に沿って、汚染土壌を詰めた容器「フレコン

(表面近くの線量率は10μSv/h)が野積みされ、作業員たちは原発構内で働く作業員たちと同様、ものものしい全面マスク姿で除染作業にあたっていました。また、飯舘村の里山に囲まれたある地区では地上1mの空間線量が至る所10μSv/hでした。

国道沿いに野積みされているフレコン

わずか2日間の経験でしたが、汚染の酷さと除染の困難さを痛感させられました。因みに、20μSv/hは年間被曝量に換算すると約180mSvになります。原発構内の労働者の年間最大被曝量が50mSvですから、高汚染地域の状況は想像に余りあると思います。近い将来、行動隊の活動の場になるかもしれない所は以上のような状況でしたので、しかるべき準備をする必要を感じました。

(塩谷亘弘、家森健)