山田恭暉と、佐々木和子さん、平井吉夫さん、奥田さん、増渕真帆さんとのインタビューを掲載して頂きました。
未公開部分も追加掲載されていますので、ぜひご覧ください。
http://iwakamiyasumi.com/archives/9034
以下は文字おこししたものです。
文字起こしは岡田潔さんによるもので、平井吉夫さんが修正・加筆をしてくださいました。
岩上 こんばんは、ジャーナリストの岩上安見です。告知では7時からと申し上げていたのですが、大変遅くなって申し訳ございません。今、いわゆるシニア決死隊こと、福島原発暴発阻止行動プロジェクトの発起人である山田さんのご自宅にお邪魔して、これから山田さんとお仲間のみなさまにお話を伺いたいと思います。放送が始まる前にちょっと雑談をしていたように、くつろいでお話していただければと思います。つい最近ツイッターやネットで山田さん達の行動のことを知りまして、 これはすごい、ちょっと鳥肌が立つ思いがしまして、ぜひお話をお伺いしたいと思い、やって参りました。 もともと技術をお持ちで作業現場というものをご存知である、そういうキャリアをお持ちの山田さんが、そういう経験を持っているシニアの方々に呼びかけて、若い人が原発の作業現場に行くべきではない、被曝をしてはならない、我々経験があるシニアの人間こそ、そういう現場に立ち向かって行くべきだ、というふうに声を上げられた。その呼びかけに賛同して、我も我もという方が何人もいらっしゃる、ということをお聞きしました。まずはどういう経緯でそういう行動を思いついたのか、どういう形でこのプロジェクトを立ち上げようとお思いになったのか、自己紹介を含めてお話していただければと思います。
山田 私自身はもう72歳ですから仕事をしておりませんが、大学を出てから技術屋として製鉄会社に勤めて、製鋼、鉄を作る仕事の現場をやり、研究所で環境の問題や廃棄物の問題をやり、そういう中で自分でプラントを作るということもやり、さらにそのプラントを海外に売ってくるというふうなこともやってきました。そういう経験を踏まえて、今度の地震に遭って原発が大変だというのが割によくわかった。その過程で原子力発電所のことを勉強だけはしました。
岩上 すると原発の現場に直接タッチしたわけではないと。
山田 全然見ておりません。ただし原発の原理原則、構造、あるいは燃料の処理の問題、こういうところは東海村に行って一生懸命勉強したこともございますので、それなりに。
岩上 大学は東大でしたね。どういう学科を?
山田 当時は冶金学科と言いましたが、今で言うと金属工学です。そのあと現場の製造の仕事をやって、そんなことを背景にして原発の事故の話を3月の11日に聞いたとたん、昔からの技術屋仲間とこれは大変だという話を電話でやったり会ったりして数日間続ける中で、対策案がいろんな方からいろいろ出されましたが、いずれにしても工事をやるという仕事が最後に残る。機械やロボット使って遠隔操作で工事をやるという最近の技術もあることはあるのですが、どうしても最後は 人間の目で見、人間の手で触り、人間の手で細工するということをやらないと、プラントっていうのはどうしてもできないというのが、私自身の、あるいは仲間達の実体験なんですね。そういうところから話をしてゆくと、最後には工事を誰がやるんだという話に否応なしになってくる。そして汚染されている現場に若い人間が行ったら子供を生めないよね、という話になる。そうすると、まあ俺達はもう子供を生むことはないし、細胞分裂自体が衰えているわけだから、放射能の被害も物理的にも個体としても少ないと。これは我々しかないじゃないか、その中で主として技術がわかる人間、技能を持っている人間、いわゆるベテラン、退役した人達が一番適任だよね、要するに俺達だよね、ということになったわけです。みなさまは世のため人のためと思ってらっしゃるようでもありますが、そうじゃなくて理屈でいったら俺達以外に候補者はいないというのが、自動的に出た結論です。決死隊だとも思っていないし、やるのは俺達しかないよねっていう以上のことはない。そういう意味で私としては割に淡々と考えているつもりなんですが、自分一人でやるわけにはいかないから、じゃあいろんな人に声をかけてみるかというので声をかけだして、どんな形でやるのかなにも考えないまんま、ともかくこういうことをする人がいないといけないということだけ呼びかけた、というのが最初のきっかけです。
呼びかけてみて、ある意味では当然なんだけど、大変びっくりしたのは、一人一人がどうのように受けとめて、それぞれの方がどうのように自ら行動隊に入ろうと決めるのかということは、一人一人すごく巨大な物語だ、ということがよくわかりました。それをメールのやりとりで言ってこられる方もあるし、電話で延々と語られる方もある。さまざまですけれども、お話を伺ってみると、私とは全く違う思いで参加を表明されている。たぶんここにいる平井君も佐々木さんもそうでしょう。 このお二人は技術屋じゃありませんが、行動隊に参加してくれるということで、それぞれの思いは全部違うということが大変よくわかりました。これは私にとってもある意味では非常に衝撃的で、予想の範囲を遥かに越えていました。行動には参加できないけれども賛同していただく、応援していただくという方を同時に募集したんですけれども、その方達から、「あなた方を危険な目に合わせることに賛同する、ということがどういうことなのか考えさせられる」と言われたこともあります。
岩上 確かにそうですね。
山田 私としては軽い気持ちで、がんばるからちょっと応援してよ、というくらいに思っていたんですが、とんでもない、これはひとつ人生を懸けて考えないといけないなと。最近始めた私のツイッターに、「あなた方にやっていただくことは大変ありがたいけれども、自分ができないのに応援する、賛成するということがどういうことか、悩んでおります」という書き込みがありまして、その方に私は「応援する、賛成するということで、貴方がこの後のご自分の生き方をどうするか、ということについて考える機会にしてください」という返事をお出ししました。するとその方が、私は割と軽い気持ちで書いたところもあったんですが、その方にとっては大変重たい言葉であり、よくよく考えたすえ賛同者になりますと言ってこられました。大変申し訳ないけれど割と軽い気持ちで始めたことが、なにか人々に非常に大きな機会を提供することになったのかなと。そのことで私自身がまたもういっぺん、これから先をどう生きるかということについて考え直す、あるいは考え続ける機会をもらえた。具体的な行動とは別の次元で、あるいはその前の次元で、ものすごく大きなトピックスというかイベントというか、なにかになっているなということが、僕にとって非常にありがたいし、応えて下さった方、あるいは応えて下さらなかった方にとっては応えないという決定をすることにも、なんらかの考えがあってのことであり、 そういう意味で大変ありがたい機会を与えて下さったのかもしれない、という気がしています。
岩上 原発事故の被害をこれ以上拡大させないという、具体的な使命、やらなければいけない目的、それに対して合理的な行動をお考えになって、淡々とお決めになったとおっしゃっておられますが、そこにはいろいろと深い思いがおありになった。それに反応された方も間違いなく、それぞれに思いがおありになる、原発が深く人生を考える継起になったということですね。そこで忘れてならないのは、今現在もどなたかが作業されているんですね。250ミリシーベルトですか、許容限度を上げられて、被曝し続けている。低線量であろうが被曝してるわけです。その人達は、東電や政府がどこの誰々さんが今こんなふうにがんばっていますと名前を出すこともなく、カメラの前に出ることもなく、写されることもない。ソ連のチェルノブイリの時でもフィルムがみんな残っているんですね。顔をさらしてインタビューも受けている。ところがこの国では徹底的に隠されている。おかしな話だなと思いつつ、でも従事している方はお気の毒だけれどもがんばってらっしゃるなと思うだけで、我々の想像力もちょっと止まっているところがある。そこへ山田さんやお仲間のみなさまのように具体的な顔と名前と考えのわかる方々が現れて、行動の意思を表明する。現実に山田さが現場に行った時には、我々も一緒に連れていかれると思うんです。気持ちの上で。それはまた、今の被曝しながらどこの誰ともわからない形で大変な作業に従事されている人達にスポットを当てることでもあり、すごい意味があることではないかと思うんです。
山田 そういう意味で、私が声をかけたみなさんと議論していて、ひとつ得た結論というか答えは、このプロジェクトは絶対に個人のプロジェクトではない、国家プロジェクトでなければならないということです。原発の事故の処理ということ自体、もう私企業の能力の限界を超えているじゃないかと思います。少なくともこの行動隊については、国に取り上げていただき、しかも作った冷却装置を10年にわたって動かし続けることを考えると、国の力で国が人を集め、国が人を派遣していくしかない。ということで、今岩上さんがおっしゃった人の顔が見える仕事にしてゆくことを、ぜひやっていただくようをお願いしたいと思っております。
岩上 そうですよね、今現場で従事されている人にも きっとそれぞれの思いがあるんですよね。それが表明されないまま、もし万が一、10年経ってその人達が 障害を持つことになったら、これはちょっとね。なんていうか、我々は受益者じゃないですか。共鳴するとか賛同するとかの決断以前に、どうしたってここの国の国民であるかぎり受益してしまうわけですから、なんか申し訳ないと思いますよね。
では、これからみなさまに自己紹介をお願い致します。
平井 山田君とは50年以上の付き合いなもんですから、山田君の呼びかけを見て、あ、これはいいなと思いまして、さっそく行動隊に応募しました。ただ私は技術者じゃありません。だけど技術者じゃないからというのは、私にとってはどうでもいいことで、例えば飯炊きをするかもしれないし、物を運ぶだけの仕事をするかもしれない、あるいは現場に行かない仕事もあるかもしれない。最初に呼びかけた時はこんな大勢になるとは思わなかったので、「枯れ木も花の賑わい」で、とにかく一緒にやりましょう、横にいましょうというので参加したわけです。動機といえばそういうこともありますが、これは世のため人のため国のためというよりは、義侠心みたいなもんでしょうね。
山田 そうだよね、僕らにとってはね。
平井 義侠心という言葉も概念も私は好きなもんですから。なにしろ武道家ですから。
岩上 合気道の教室の先生をやってらっしゃるとか。
平井 はい。本業は翻訳家ですが。
岩上 というと理系ではなく文系ですね。そうすると技術はないけれども、今おっしゃったようにいろんな形で。まあ体は丈夫でいらっしゃるわけだから、武道家ですから。現場に行って体が動かないってことはないという、そういう強い気持ちと健康をお持ちだということですね。
平井 この隊に応募した人達、理系じゃない人もかなりいるんです。とにかくここに自分がいるんだということだけで、どうしようかどうしようかと悩んでいたものが吹っ切れたんじゃないかと思うんです。山田君のこのプロジェクトに参加する前に私が計画していたのは、汚染野菜をみんなの前で食うというもので、かなり具体的に進めていたんですけど、似たようなことをどんどん他の人達もやりだしたもんですから、もういいかと。例えば大手スーパーが被災地の野菜をあえて仕入れて売り、それをあえて買うってことをやっていますね。はじめはそういうふうになるとは思わなかった。風評被害が激しかったので、ここはみんなの前で、大勢の前で、汚染野菜を食ってやろうと。まあそれと似たような気持ちで、今原発暴発阻止の運動に参加しています。
岩上 ありがとうございます。あの、お隣が佐々木さんですが、それは旧姓で現在は平井さんとご夫婦で…
佐々木 戸籍上はそうです。私も翻訳とか通訳とかをしていて、それは全部、佐々木の名前でやっているものですから。
岩上 なるほど。 あの自己紹介をぜひ。男性がこう、決死隊とかね、意を決してっていうのは、なんとなくわかりますが、女性も…
佐々木 それは男性も女性もないと思うんですけれども。原発に関して言いますと、私は通訳関係で東海村に何回も行ったし、原発を廃炉にする問題に関する国際会議の通訳なんかもしていまして、実際に中を見たりしたことがあって、文科系にしては多少は見てるんですけれども、今度この事故が起きまして、居ても立ってもいられなくなったんですよ。テレビに噛りついて、いろんな報道が来て、「え、ちょっとこれは、とんでもないことになってんじゃないの」って気がしてくるわけですよ。ところがそれほど詳しい知識はないものですから、その当時の知り合いなんかに電話をかけて、「ちょっとこれは大変なんじゃないの」っていう話をして、「そうなんだよ、大変なんだよ」ってことになってきて、そうなると、当然こっちにも放射能が飛んでくるはずだと思うんですよ、東京にもね。ところが子供達は、姪や甥達に子供がいるんですけど、ふつうに遊んでるわけですよ。私が「ほんと、休みの間だけでもいいから、早いとこ西の方に逃げた方がいいんじゃないの」っていう話をしても、全く鈍感なんですよね。「おばちゃん恐いなら、おばちゃんが行ったら」って感じになっちゃって。「私はいいのよ、私は歳とってるから、別にどうってことないし」って言ってますけど。、あの当時はちょうどヨードの話が出てまして、子供は非常に感受性が強いというのがあったし、居ても立ってもいられなくって、なにかしなきゃという気持ちになってました。それはひとつには、私達は戦争責任もないのに、日本の戦争責任の問題をずっと問われてきた世代ですよね。実はこの原発の問題は「私達に責任があるんじゃないの」っていうことを感じるんです。「私達以外に誰が責任をとるの」っていうので、電気を享受したのは私達だし、別に大して節電はしてなくて、インターネットもやりますし、いろんなことで電気を使ってますよね。だからそれは、我々が我々の手でなんとかしないと駄目なんじゃないか、けじめをつけるべきではないかと思うんです。若い人達が行ってるでしょ、今現場に。それを考えただけでも、もうたまらないんですよ。むしろそれほど先が長くない我々が、感受性も鈍くなっている我々が行くべきはないかというふうに思います。今まで充分楽しみましたから、ということもあります。いい時代に生きさせてもらいました、という気持ちもあります。
岩上 あのう、奥様という紹介を先にしてしまったので、夫唱婦随で行かれるのかなと…
佐々木 いや、全然違います。
岩上 報知新聞に山田さんのプロジェクトの記事が出ていて、そこで佐々木さん、私も行きますという話の後で、ご家族やご主人はなんと言うでしょうという記者の問いに、いえ、主人も連れて行きますからと。(笑)
佐々木 そういうことは言ってないですけど、主人も一緒に行くつもりだから、とは言いました。
岩上 ご主人はご主人でいろいろ思いがあり、奥さんは奥さんでご主人の思いとはまた別途に…
佐々木 全く違うと思います。感じ方が違うみたいですから。
岩上 自身でいろいろ思うところがある、ということですね。いやいや男女は関係ないって、今パシっと言われたので、あれなんですけど、女性の思いをもうちょっと言っていただけたら…
佐々木 女性の思いっていうのがあるかどうか。
岩上 つまり、女性は本当に子供や孫のことを心配する気持が強い。そういう気持ちの女性は沢山いらっしゃると思うんです。でも、じゃあ自ら名乗り出て、体を張って現場に行きましょうということになると、なかなかその行動力とか勇敢さっていうのは、どうでしょう、こう言うと女性から怒られるかもしれませんが、女性には非常に思い切りの要ることではないかと思うんですね。その点はどうなんでしょう?
佐々木 あまりそう思わないんですけれども。それほど悲壮な気持ちでもありませんし。これから先の人生は付録みたいなもんだと私自身は思いますし、だからそういう意味じゃ、それほど思わないんです。女性らしいかどうか知りませんけれども、若い人が体を蝕んでいくっていうのはね。それはもう許せないことだと私は思います。それが女性的であるかどうかわかりませんけど。
山田 男も一緒です。
佐々木 そうだと思うんです。ごめんなさい、あんまり女性的じゃなくて。
岩上 いやいや、とんでもないです。みなさん、60年安保世代ということになるんですよね。60年安保の時に大学の同期…
山田・平井 はい、そうです。
岩上 やっぱりそういう世代経験っていうのは、大きいですかね。
佐々木 あるのかもしれませんね。
山田 明らかにあの世代経験っていうのはあると思いますね。答え、反応の仕方がね、この世代はすっと、要するにさっき二人が言ってたように、悲壮感じゃないんですね。なんかこういうことをやるのは当たり前っていう、さっき私が言ったような思いが共通の生き方の中に刷り込まれている、というふうな感じがしますね。だからあまり意気込んだ議論をしないで、この世代は割にすっと応じてくれてる。
岩上 議論をしない、あるいは考えないわけではなく、おそらくは考えに考えて、煮詰めに煮詰めて、で、もう四の五の言わない、やることはこうだと達観することだということに。みなさんやっぱりお考えになってきた…
山田 …と思います。60年安保の時もたぶんそうだったと思うんですけども、さっき義侠心という言葉を使ったけれど、言うなら義に生きる、要するに、正しいことはこうだということであれば、そのとおりにやるというだけのことであって、別に悲壮な決意をするわけではないという感じだと思うんですが、どうでしょう?
平井 それとまあ、60年の時の我々は20歳前後の青年でしょう。それはやっぱり血気盛んで悲壮感もありましたし、死ぬ覚悟はしても死ぬのが恐いというのもありました。この歳になりますとね、恐くないですかとよく言われるんですけど、そりゃ恐いことは恐いけど、生物の本能というか、生存本能としての死の恐怖は鈍っちゃってるんですね、年寄りっていうのは。だからかなり気楽に「行きましょう」と。
岩上 言われることに頷いていいのか悪いのか難しいですね。リアクションが。これはもう画面のむこう側のみなさんも頷いたり「う~ん」と言ったりされてるんだと思いますけど、私はとうてい「そうですね」と言える立場にありません。まだ51歳の洟垂れ小僧ですから。
山田 そんなこと言わないで、40、50の方は、また全く違う見方でものを見据える。そういう目でこの問題についても見ていただかないと。
岩上 非常に中途半端なところにいますから。若い方、未来のある若い方と言われて、そうだと言うのも厚かましいし、みなさまと同じように死の恐怖を乗り越えた、達観したとも言えないところが…
山田 平井君はこう言っているけれども、私はまだ、いざ現場の最難所に行ったときに足が竦まないかと言われたら、やっぱり竦むだろうと思っています。だから そこで「なんだよ、お前」っていうことは言ってはいけないし、落ちる人が出てきても当然だと、それぐらい恐いことなんだとは思っています。だけど決心する、決めるという時には、ひとまずそのことはさて置いて決めるしかない。現場に行ったらまた違うことが必ずあると。死ぬ間際に足掻くということがよく言われますね。それと同じことがやっぱりあるだろうと。いくら歳をとっても死ぬのは平気だなんて偉くなれないですよ。
平井 感覚が鈍ってるんだよ。
山田 鈍ってはいるにしてもよ。
佐々木 それは見なきゃわからないでしょ。
山田 なってみなきゃわからないけど、大丈夫なんて言えるほど強くはないと思っておかないと。
平井 そりゃそうだ。
山田 その場の自分がね、やっぱり耐えられなくなると思う。
佐々木 ただ、抽象的な死に対する感覚には、親近感を覚えるようになってますね。
山田 それはある。だけど、いざ我が身が死ぬという時の、死ぬ恐れがあるかもしれないという、あるいは直接死ななかったとしてもなにかの害を受けることがあるかもしれない、といった時にどうかといったら、おそらくいいとは言えないぞと。
岩上 とりあえず、急性の障害が出るとか、そういう濃度の放射線だけは絶対に避けていただきたいと思います。
山田 その辺は、さっき申しましたように、政府のプロジェクトということだから、そんなことがないようにちゃんとした防護服を着るとか。世界にはかなり優れた物もあると聞いておりますので、それこそ原爆処理部隊みたいのが米軍にあるわけでしょ。ああゆう方々が持っている防護服も見せてもらいましたけど、今東電の方々が着ている白いやつは放射線を透過して、埃をつけないだけじゃないですかね。
岩上 そうですよね、放射性物質の付着を防ぐだけだって。
山田 そうじゃなくて、放射線を通さない防護服、通しても通し方が弱いのがすでにあります。もちろんかなり重いから、それをそのまま着られるかという問題もあるでしょうけどね。体力も要りますし。そういうこともいろいろ考えて最善の手を打つ、ということをしなくてはならない。それをするのも、国家プロジェクトならできる。
岩上 すみません。自己紹介をしていただくのが遅れまして。奥田さん。
奥田 60年安保の時に主人とみなさんとご一緒にあの時代を生きたという思いがあって、去年、60年安保闘争50周年記念の写真展をここにいるみなさんが企画された時に参加させていただいたので、今日もまたお仲間に入れていただきました。私は3月11日以後の人生が変わったという実感があるんですよね。恐怖と実感が。実は3月10日の東京大空襲で父親を亡くしているんです、私。その時の戦争に責任がないにもかかわらず、やっぱりそういう思いをしたっていうのがありまして、その父の命日の翌日にこの経験をしたわけです。私には子供が3人と孫が6人いて、7人目が10月に生まれるんです。本当になんとかしなきゃって思いがあって、今度は私に責任があるんだっていうのをすごく強く感じたものですから、なんらかの形でやりたいんですけど、自分も病を抱えてる、主人も病を抱えてるものですから、どうすることもできなくて、佐々木さんにくっついて来ているって感じなんですけど、なにかやれることがあるかしら、孫達のためになんとかしなくちゃって思っています。本当に恐いですよね。
岩上 7人目のお孫さんが生まれるということですね。
奥田 そうなんです。みんな小さいんです。小学校2年が一番上で、1年生が二人。あとはみんな幼稚園。自分がそういう歳になって、原発には反対していたとかなんとかいう問題では絶対になくて、なんとかしなきゃいけない問題なんだっていうふうに思えるんです。まあ自分も恐いですけれども、孫達のことを考えると恐くてたまらない。友達から疎開するかっていう電話がかかってきたんですけど、私が疎開してもなんの意味もないし、孫を育てている子供達が今の東京でしか仕事ができないので、疎開するわけにはいかない。こうなったのは私達の責任じゃないか、もうずっと享受していたわけですからね、電気を。なにかできることがあるのかなあって、本当にそう思います。
岩上 つぎに増渕さん、自己紹介をお願いできますか。
増渕 山田さんと同居をしております。山田さんより29歳下です。地震と津波、今度のことがあって、やっぱり電気を使ってこれまで豊かな生活をしてきていますので、自分にも責任があると思うんですけれども、だからといって、じゃあ自分にできることがあるのかということになると、私はやっぱりまだ、現場に行ってお手伝いするのは恐いなあっていう気持ちもあって、山田さんが今回の呼びかけをみなさんと始めたんですけど、私が今できることは全面的に協力して応援してゆくことだろうと思いました。行動隊に自分が参加しますっていう人と、賛同して応援しますっていう人とを今募っているんですけれども、私はじゃあ応援しますということで、お手伝いをすることにしました。爆発とか起こって避難をしなければならないような状況になったら、山田さんは福島へ行く、私は自転車で西に向かって逃げるということを話したりしています。どれだけ役に立てるかわからないけれども、私はこれから先の社会で役に立つべく生きて、役に立つ人間であろうということで、役割を分担することにしました。こちらにいて、後方から支援をします。
岩上 よく言われる男女役割分業ではなくて、世代分業みたいなもんですね。増渕さんはアラフォー辺りと思うんですけど。
増渕 そうですね。
岩上 そのくらいのお歳の方、僕はそれより一回り上の51なんですけど、40歳前後の方だったら20代の人とは違う、そこまで若いわけではない。けれども人生これからまだまだ先があって、60代70代のような覚悟の仕方はちょっとできないというお歳だと思うんですけど。
増渕 本当にそう思いました。今お話を聞いていて、すんなりと、じゃあやろうって言ったみなさんはすごいなあって思います。まだ覚悟が全然できてなかった自分は世代なのかなんなのか、考えて生きてきている濃さみたいなものが違ったのかな、というふうに思いました。
平井 そもそも若い人にやらせたくないから、年寄りが出てくるんだから。
増渕 若い人にやらせたくないという思いは気が付かなかったというか、どこかの目に見えない誰か、知らないどなたかががんばって下さっているというのはひしひしと感じながら、山田さんが今回のことを言いだす頃、言いだす手前で「誰かがやらなきゃいけない」と言ってた時に、ではそれを自分がやろうとか、そういうふうには、目に見える知ってる誰かがそれをやらなきゃいけない問題なんだとまでは、やっぱり考えられなかったというのは正直ありました。
岩上 僕はちょっと中途半端な世代ですが、自分にも孫がいますので、次の世代が生まれてきているという実感はするものですから、やはりいつか自分も老いてゆく、その時に次の世代のためになにかをすることがないと、相当虚しい人生になってしまうだろうなと思います。今いる人達のため、横にいる人達もありますが、縦の繋がりといいますか、次の世代のために自己犠牲を伴ってなにかできるかというと、とうていそんな覚悟もなく、お話を伺って感銘することしきりなのですが、投げかけられている言葉として、特攻隊のようだ、第二次大戦の時の神風特攻隊のようだっていう比喩が、随分あるんだろうと思うんですよ
山田 ありますね。
岩上 公のために自らを犠牲にするという思いでは共通点もあるんですが、非常に対照的じゃないですか。かたや非常に若い人達が散っていって、こちらはお年を召した方が散るつもりなぞないと言ってがんばられる。一方は国家に強制されたもの、他方は自発的なボランティアで、我々に参加させろと国家に要求する。これは全く対照的です。「行かせろー」と突き上げているわけですから、ものすごく違う。いろいろ違いがあると思うのですが、その違いと重なりとを比較対照してみて、どのようにお考えですか?
山田 困ったな、そんな文学的な話。正直言って私自身は全く比較してませんから。私は勝手に私の考えをやってるだけで。特攻隊の話は知ってるし、特攻隊の方の本を読んだこともあるけども、心はあんまり揺り動かされなかった。悲惨だなとは思ったけど、心を彼らに寄せることは私はできなかった。あんなふうに人のために我が命を奉げるって生き方は、私にはできないなと。今回もそういうふうな形で取られている方もおられるけれど、私はいまだに人のために我が命を奉げて というふうには全くと言っていいほど思ってない。つまり理の当然のことを、理の当然のようにやっている。生意気なことを言いますと、技術屋っていうものはそういうものでなきゃいかん、技術屋は利益のためにやってはいけない。理のためで、利のためじゃない。理の当然のことを、理の当選のようにやる。これが私が技術屋を選んだ理由でもあり、サラリーマンであるけれども技術屋以外ではなかった。ないようにしてきた。つまり組織運営ってやったことないんですよ。やらないように避けてきたんだけれども、理の当然のことを理の当然のようにやるというのを私の生き方にしたい。若い時にできたとは言いません。ようやく今その筋書きができてきて、人の前で言えるようになったという感じが、私の成長の過程じゃないでしょうか。
岩上 理、ことわり、技術上の理と合理性ということが、私の深読みかもしれませんけれども、人生の、社会の、あるいは生き方の理と重なり合っているように思えますね、聞いていて。
山田 だから技術屋が技術屋として、技術の本質に忠実であり続けるということは、そういうふうに生きるという、生き方の問題に関わっちゃうわけですね。だから今岩上さんがおっしゃったように、人生論だとかそういう議論と重なってきます。でもこれはたまたま重なるだけであって、技術屋は本来そういうものでなければならないと思い続けて、もちろん悪いこともいっぱいしているでしょうし、おかしなこともしているだろうと思うし、道も逸れたかもしれないけれど、そういう技術屋として技術屋の道を生きるということを一所懸命やろうとしてきた、やってきたとは決してよう言わんから、やろうとしてきた、と。
岩上 まだ現在進行形ですからね。人生は過去形で語るべきじゃないのかもしれません。そういう意味では。
山田 そうかもしれませんね。
岩上 この放送を見ていて、全く同じように参画しようとは言えない方もいっぱいいると思うんですけれども、同世代の、あるいは60、70歳の方々の中に鼓舞されている方もいっぱいいるんじゃないでしょうか。加わるか加わらないかは…
山田 結果ですよね。
岩上 結果ですよね。いろんな条件あると思います。お体が悪いからそれが難しいということももちろんあると思うんですけど、振り返って過去形で人生を語っているんじゃなくて、今この瞬間にも自分の人生の在り方を完成した形に導こうとしている姿勢というのは、すごく感銘させられますね。特攻隊に重ねた話、平井さんもおっしゃりたいことあるんじゃないですか。
平井 岩上さんが言われた両者の違い、見事に分類するもんだと感心して聞いていたんですけど、ある時には、ある状況では、決死隊的なものが必要なことが歴史上いろいろあります。神風特攻隊もそうだったのかもしれません。チェルノブイリの時には大勢の兵隊が、それこそ急性の放射線障害で死にましたでしょ。あれも戦争のようなもんですけどね。軍隊っていうのは命のやりとりが本業だから、死地に赴けと言われたら従うしかないんだけれども、例えば福島の原発で決死隊的な行動が必要だとしたら、どうしても必要になるとしたら、たぶん日本の軍隊である自衛隊員が行かされると思うんです。それは嫌なんですよ。
山田 そりゃそうだね。
平井 絶対に自衛隊員を決死隊に、特攻隊してはいけない。それがとうしても必要なら、先の短い我々が決死隊のようなものをやったっていいんじゃないか。
山田 必要でないことを最大限追求しながら、どうしても必要だ言われたらということは、置いておかなきゃいけないかもしれない。
岩上 無駄死に、わざわざ死に赴くというのではなくて、リスクをとるけれども可能なかぎり身を守る。のうのうと生きて帰ってやるぜ、という思いでね。だけどもしかしたら引き受けないといけないリスクがある。後々に出てくるのだとしたら、これから先何十年も生きるかもしれない人よりは、まあ我々がっていうようなことですよね。それは私が語っちゃいけないことなのかもしれないですけど。
山田 それが合理性だと。
平井 それが一番大きな動機ですよ。
佐々木 長靴を履かないで被曝した人がいましたよね。あれがものすごく衝撃的だったんですね。私達がもし現場に行くとなったら、絶対ああいうことは許しませんよ。そういうことです、合理性というのは。
岩上 そういう意味では本当に、神風特攻隊にどういう合理性があったのか、わからないところがあります。あれにはあれなりの合理性があったのかもしれないけれど、とりあえず戦術的には合理性がないですよね。大した戦果は挙げられない。けれども、そういう意味で非合理的な感じ、非合理であるがゆえに人の心情に訴えるものが時にあるんでしょうけど、みなさんは合理の果てに、もしかしたら人を揺り動かす、そういう行動をとろうとしている。そういう意味でも非常に対照的かもしれないですね。
山田 それともう一つ、非常に大きな違いは、このような災害っていうのは、絶対的な悪なんですよね。戦争っていうのは、むこうから見ればこっちが悪で、こっちから見ればむこうが悪で、相対的な悪でしかない。いくらどういう理屈を付けてなにをしようが、民主主義と独裁の戦争であれなんであれ、ともかく相対悪です。ところが、これは絶対悪だから、戦わなければならないということについてなんのためらいもない。日本人と言っても人類と言ってもいい、ともかく万人にとって戦うことについてなん躊躇もないという性格のものだということが、非常に大きな違いです。ただもう一方で、これが辛いところは、地震と津波は天災であるのにこれは人災なんです、残念ながら。それにどういうふうに立ち向かうかって時に、いろんな迷いが出る、あるいは言い訳が存在する、と言った方がいいかもしれないけど、自分がその場に関与しない理由を探すことが可能なんですね、一般的に。「それはしないようにしようね」っていうのが、さっきの私の言葉で言えば、ことわり、理に生きるということだと思っています。
岩上 津波の被害に遭われた方々には、本当にお気の毒なんですけれど、私も街が全くなんにもなくなった沿岸部の取材で現地に行ってしてきましたが、本当に15メートルなら15メートル、そこが生死の境目で、その前と後では全く…
山田 ええ、それはひどかったですね。私も見に行きましたけれども。
岩上 こちら側はなんになくなっている。これは現地の方だけにとっての悲劇なんですね。我々そこから離れている人間にとっては、さしたる大きな災害ではないというふうになってしまう、どうしても。ところが原発の問題は、五感では感じないけれど、放置していたらどこまでも広がり、もし収束に至らなければ、仮に水蒸気爆発なんかを起して、全部アウト・オブ・コントロールになったら、チェルノブイリの比でないものになってしまう。日本だけでなく世界中を巻き込む大惨禍になってしまう。現在進行形なんですね、こちらも。そういう意味では、なにがあっても、先ほど絶対悪とおっしゃいましたが、どうやってもこれを鎮めなくてはいけない、立ち向かわなくてはいけない。そういうはっきりした使命が明確なんですね。
山田 だから人類にとっての絶対悪ですよ、これは。私どもの呼びかけはすでにドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、チェコ語、スウェーデン語、ハングル語になっております。そしてすでにイタリア圏からは反応が来ています。そしてドイツでは4月の17日にカッセルという小さな街ですチャリティーコンサートを市が開いたんですが、そこでドイツ語文がビラで配られ、25日には同じ街で数千人の集会があって、そこでドイツ人と結婚された日本の女性が読み上げられたそうです。拍手が鳴り止まなかったという報告を受けています。まだまだこれからですけども、そういう形で我々のウェブサイトを通じて、あるいは直接在外日本人の方が自ら翻訳して、自ら配ってくださるというふうなことが起こっております。
岩上 具体的な話なんですけれど、今どれくらいの人が参加して、その中にどんな人がいて、現実の問題としてどんなことが可能なのだろうかということ。それから、ただ声を上げているだけではなくて、政府が反応してくれて、ひょっとしたら本当に実現しそうだ、政府あるいは東電が許可しないかぎり現地には行けないわけですが、それが実現できそうだ、なんか見込みが出てきた、というお話を前に電話でお聞きしましたが。
山田 いろいろな政治家、国会議員の方々に働きかけをしております。大変好意的なレスポンスをいただいている、ということ以上のことは、今のところ申し上げるわけにはいかないのですけれども、私としては希望的に、希望を持たないと生きてゆけないから希望的観測なのかもしれないけれども、考えております。声は挙げたけどなにも起こらないかもしれないな、という時期もあり、もう止めちゃおうかって思った時もあったけれど、その過程でいろいろな方がいろいろ動いて下さって、これは私達が動いたってことじゃなくて、むしろ他の方がいろんな人を動かして下さって、政治の世界にまである程度手が届きかけているという感触があります。
岩上 今何人ぐらいいらっしゃるんですか?
山田 すみません、今日は集計できなかったもんで。
岩上 日々増えていってるんですね。
山田 特に今日テレビ朝日が報道したもんだから、かなり増えてますけど、たぶん今日で行動隊が60人は優に超えているでしょう。賛同して下さる人が三百三十か四十ぐらいまでいってるんじゃないかな。
岩上 お手伝いをしたいという方は何をできるでしょう。つまり賛同者というのは。
山田 たくさんのことがあるだろうと思います。たぶん実際に動く舞台の中心は東京ではなくて現地に近いところになり、そこで参謀本部と行動本部が一緒になっていないと動かないと私は思います。そこに対していろんな情報をフィードしたり、物資を補給したり、人を集めてトレーニングをして送り込んだりという、そういう後方の活動、いわゆるロジスティックス、戦争で言えば兵站の部分があるでしょうね。強大なロジスティックスが必要だと私は思っています。特に線量制限があるわけだから、人をどんどん送り込んでいかないといけない。とすれば人を募集し、教育し、送り込んでゆく。その人達に食料を供給し、快適な生活環境を用意するためだけでも、強大な兵站が必要ですよね。そういうふうに考えたら、これは実働部隊の数倍、あるいは数十倍の人間が働かないかぎり機能しない。これもボランティアで、災害のボランティアは現地に行きますけれども、兵站のボランティアはこっちで、例えば東京あるいは東京の周辺でやらなきゃならない。もっと言えば全国でやらなきゃならない。これは国家プロジェクトになればできることです。それぞれがそれぞれの居場所でお手伝いいただくことになります。そういう物理的な活動と同時にもうひとつ、みんなが支えてくれているという、心の支えっていうのは、この活動にはものすごく大事だろうと思います。自分がこれになんらかの形で参画しようと決めた後に、それを支えてくれている人がこんなにいるということが、どれほど現場での活動に力を与えるだろうかと想像しています。
岩上 そういう意味で、今現場の作業に従事している方には、そうした…
山田 …支えがない。
岩上 ひどい話ですよね。
佐々木 ほんとにひどい話。
山田 可哀想ですよね。
岩上 高賃金を与えているかもしれないけど、それだけで危険な任務をできるもんじゃない。
山田 人は金のみで生きるにあらずですよ。
岩上 やはり人々から見守られているとか、お互いに繋がり合い、尊敬し合っているとか、そういう感情って、とても大事ですよね
山田 それが一番の大事なことで、だから私はみなさんに申し上げているのですが、報酬がないとは言わないけれど、報酬を目的とするのではないと。そうでなければ、こういう活動はしない方がいいと思う。報酬を目的にしたとたん、心の内で繋がり合い支え合っているというのが消えてしまうことになる。
平井 東電の募集と全く同じになっちゃう。
山田 そうそう、そうそう。
岩上 その繋がりということで言いますと、いまやインターネットが大きな役割を果たしています。山田さんご自身は与り知らないところでも、すでにいろいろ繋がりができている。私自身がやはりツイッターで山田さん達のことを知ったわけで、マスメディアよりそちらの情報の方が先だったんですね。そういう繋がり、どこからともなくメールが着たりとかしてできてゆく繋がり、これはやはり今までにない感情を揺さぶられたりするものじゃないでしょうか。
山田 おっしゃる通りですね。特に世代を跨いでいろんな方々がいろんな形で語りかけてくださるっていうのが、本当にインターネットの魅力だなと思いますね。想像もつかないですよ。それこそ20代から80代までいますからね。
岩上 マスメディアがどこか機能不全になっているようなところもあって、みんな横並びで同じような情報を伝え、伝えない情報は徹底的に伝えないような構造になってしまっているんですね。そういうような時に、マスメディアが見事なまでに横並びになってしまった時に、伝えなくてはいけないことを自分が伝えようと思った時に、インターネットによるソーシャルメディアというのはとてもよく機能していると思うんです。この震災以前のトピックは中東などで起きていたチュニジア革命やエジプト革命で、そこではインターネットが大きな役割を果たしました。では日本はどうなのかといえは、日本でもなにかこうブスブスと燻ってる状況の中で、静かにソーシャルメディアの繋がりが増えていってると思うんです。震災後は非常に活発に情報の伝達が起きるようになった。例えばこのユーストリームでの会見も全部ぶっとおしで見せていて、時には真夜中まで続くのですが、それを3万人が見るんですね。リスニングなんてその直前まで、年末までで言うと視聴者が1000人を超えたらすごいねっていう話だったんですね。それが万単位で見られる。そういう情報の飢餓感というのがあるんだろうと思うんですよ。それにある程度応えることができたのかなと思います。私もほんの二、三人でやっているところに、次から次へと腕を持った若い人達がボランティアで志願してくれて。他で仕事をやってるけど自分は配信ができると言って駆けつけてくれる人達が出てきて、ちっぽけな陣営を支えてくれるんですよ。
山田 今回ウェブを立ち上げましたが、これは知り合いの若い人に「頼むよ、金は払わないけど」ってことでやってもらって、呼びかけをしたら、「私はITの仕事をしています。ウェブの手が必要だったらやりますよ」って申し出てくださった方がいて、東京の郊外と大阪と京都の三人が今チームを組んでウェブをいじって下さっている。私が最初に用意したサーバーの機能があまり良くなかったんですが、「新しいのを借ります、借り賃は私が払います」って言ってくれた人もいる。先ほど言った呼びかけ文の外国語への翻訳も全くの見ず知らずの方が、いわば勝手にやって下さっている。これは本当にインターネットのお陰ですね。
岩上 知られるってことですね。ほっといたら人が知らないままのことを。今の社会、人に情報を伝える機能をマスコミに託し過ぎ、依存し過ぎて、マスコミが伝えないことは存在しないかのようになっている。でも原発反対のデモなんかネットで知った方々が集まってくるんですね。多くがシニアの方々なんですよ。それを見ていると若い人以上にネット上のリテラシーが高くて、それを自在に操って実際行動に出るんです。それは励まされるというか、すごいなと思いますね。我々は人生の放物線を描いて、働き盛りの40代がピークになり、こちら側の方はまだひよっ子、むこう側はもう年老いた人というふうに、中年世代が中心になって両側を見下すみたいな気持ちになりやすいんですけど、みなさんはそうではなくてずっと上昇して、ずっと成長していて、これは敬意を払い続けなければいけないなと、みなさんのお話を聞いていて思い出させていただきました。
平井 それは嬉しいことだ。
岩上 確実に僕はみなさんの背中を見ながら後を追って歩んで行くんですから、自分が60になった時、70になった時に何ができるのかと思うと、本当に慄然とさせられますね。
山田 ありがとうございます。そういうふうに考えていただけるということだけで、呼びかけをした価値があったと思います。
岩上 原発の問題を超えてね。原発というのは非常に非日常的なことなんですけど、人生の老いとか死とかいうものは、次の世代への繋ぎ方という、普遍的かつ絶対的に個々に課せられているテーマだと思うんです。
山田 それは非常に重たい問題で、私にとっても重たい問題であって、最初に申し上げたように、私どもが、「私ども」ですよ、呼びかけの名前は私だけにしていますが、何人もの人と議論をして決めたことで、徒党を組んでないんだっていうことを示すために私個人の名前を使ってるだけです。だからここではあえて私どもと呼ばせてもらいます。私どもの呼びかけに応えて下さった方々には、それぞれいろんな思い、考えでやってこられた。そこには自分の生を考える、あるいは人類の生を考えるということがあるわけで、これをどのようにして繋いでいくか、続けていくかということが、もう一つの新しいテーマとしてあるのではないか。つまり最初に呼びかけた本人も、現場で仕事をする部隊を国家プロジェクトにすることが実現した後にも、呼びかけに応えて考えてきたことを考え続ける、あるいは考えることを次の世代に送り続ける、そういうことがなんらかの形でできないだろうかという声が、もうすでに出ております。これはちょっと課題が非常に重くて難しくて、どうしたらよいのかわからないままなんですけど、例えば一人一人がどうお考えになったかっていうことを丁寧にフォローして、インターネットの世界を使いながらみんなが問題を共有してゆくようなことができるといいな、そういう掘り起こしをどうにかしてできたらなと、まだ非常に抽象的ですけど、考えています。
岩上 おそらくこの瞬間にも沢山の人が間違いなくキーを叩いていると思います。間違いなくツイートしている。そのむこう側では100倍になって波のように伝わってゆくわけですね。そしてテキストが残り、もちろん録画も見られる。今日このオンがあることを知らない人にも伝わってゆくんですね。しかも思いがけないところに伝わってゆく。そうした思いがけないところに届いていった言葉が、またいろんな感想を伴って帰ってくる。中には他人事のような感想もあると思いますけど、自分に突きつけて自分の死生観を問い直して語る言葉も呟かれると思うし、人それぞれだと思うんですね。一つに統一するようなものではなく。
山田 そうですね、一つにしちゃいけないんです。
岩上 きっとそういうものがどんどん呟かれて、誰がコントロールするわけでもないのに、ツイッターの世界だけでなく、ブログで書く人、まとめをする人、どこかに検索可能でまとめる人も、必ず出てくるんです。なにも言わなくても。そういう中でまた、次になにかを考えるステップが出てくるんじゃないかという気がします
ところで、今日抜き打ちで管さんの記者会見があり、浜岡原発を止めるという決定が出ました。これは本当によかった、少なくとも今東海大地震が起きたとしても、被害が最小に食い止められるのはありがたいことだと思いますが、福島が予断を許さない。
山田 このプロジェクトの中では原発の賛否についていっさい議論しないということにしたいと思っています。その議論は事が収まってから、みなさんそれぞれの場でやっていただきたい。ここではそのこととは別に、ともかく事態を収拾したいというのが第一の目的だと。それでいいと私は行動隊については考えております。また、このプロジェクトは政府や東電と対立するものではなく、一緒にやらなかったら絶対に仕事はできない。一番よく知っているのは東電であり、東芝であり、日立であるわけですから、一緒のプロジェクトで一緒に手を組んで、きちっとみんなのために一番良い形を作っていくことに、最大限の努力をするというふうにしてゆきたいと考えています。
岩上 ただの批判とか、ただのアンチでは…
山田 …絶対にできない。
岩上 物事を成し遂げることはできない。そのために今、国あるいは東電の関係者となんらかの形で接触を持っておられるようですが、お話できる範囲でそれについて伺えないでしょうか。
山田 すみません。今非常に微妙なところにあって。たぶん1週間10日という時間がどうしても、最低限要るだろうと思いますね。本当に見えるような形、みなさまの目に見えるような形で動きができるようになるまでには。具体的にご報告できる状況には残念ながらまだ。ただし非常に前向きに進んでいるということについては、はっきり言えるだろうと風に思います。
岩上 よくわかりました。またぜひお話を伺わせて下さい。山田さん、平井さん 佐々木さん 奥田さん 増渕さん、ありがとうございました