内藤 忍/電気の使用者自身が立ち向かうべき問題

 

略歴
1948年、鳥取県生まれ。大学卒業後、一貫して出版畑を歩いてきて、1983年に出版・編集プロダクションとして(株)青峰社を設立、現在に至っています。原発については、「破局的な事故は起きないだろう」という思い込みのもとに、「想定外の事態に対応する仕組み」を作らないまま容認してきてしまいました。そのことは痛恨の極みです。

今回の東日本大震災の被害の大きさには心が痛みますが、なかでも重大なのが福島第一原発をどう収束させるかという問題。今後、日本の50年、100年後にまで影響を及ぼす問題です。
原子力というのは、「人類がコントロール不可能な技術」 といわれ続けながら、それでも電気がある便利な生活をやめることができず、それにどっぷりと漬かってきてしまって、原発の存在を容認し、電気をふんだんに使い続けてきました。福島原発の今回の事故は、その結果として起きたことともいえます。

コントロール不可能であったとしても、起きたことに対して何かの防衛策をとる必要がある。いま、東電、政府が必死になって、事態の収束を図っていますが、われわれは東電、政府にまかせっきりにするのではなく、私たち自身ができることをやるべきなのではないかと、事故発生以来、思い続けてきました。
なぜなら、今回の事故は、原発という「きわめてコントロール困難な技術」を容認して、それを存続させてきてしまった私たちにもその責任の一端があると思うからです。ことに、私のような団塊の世代は、経済成長期に社会に出て、まさしく日本経済の発展とともに仕事をしてきて、その便利な生活を作り、享受しつづけてきました。だからこそ、原発の影響が、後の世代にまで続くことを、可能な限り防ぐ使命があるのではないかと思っています。

そうした思いを抱いていたところ、同じことを考え、運動を始めた人がいました。それが、「福島原発暴発阻止行動プロジェクト」(現・福島原発行動隊)でした。
私は原発を含めて技術者ではありません。完全に文系の編集者・ライターです。でも、原発の中での単純作業程度はできるのではないかと思います。たくさんの人が作業に参加すれば、それだけ一人当たりが浴びる放射能の量は少なくてすむはずです。作業に100人が必要であれば、1000人いれば浴びる放射能は10分の1で済むはずです。10000人いれば、100分の1になるはずです。そのようにして、多数の人間が作業にたずさわることで、一人ひとりの放射線量を減少させながらの作業をすることで、できるだけ早く事態の収束を図る、そうしたことが、いまこそ求められているのではないかと思います。

もちろん、原発の作業などというものは、そんなに簡単なものではないかもしれません。でも、東電をはじめとする専門家にすべてをまかせっきりにするのではなく、いまこそわれわれ電気の使用者自身が、この問題に立ち向かっていく必要があるのではないかと思っております。
50代、60代以上の方の、この動きへの参加を呼びかけたいと思います。