【略歴】
(やぐち ほつぎ)
昭和23年 9月17日(中秋の名月)生誕。
私が電子工学の教師を退き、旧建設省の電気担当に任ぜられたのは昭和43年でした。資源少なき我が国で、当時原子力は将来を荷うエネルギー源として最有望視されていました。
そこで、私も電気関係業務に携わりながら、原発について学ぶ嵌めになりました。
その後、旧運輸省へ出向することとなり、航空の安全を担う場を頂き、長年昼夜を厭わずNAVや航空管制システム等の統括一元管理を執るシステム統制に携わって来ました。
ところが公務員として三十年が過ぎしある日、上より「公務員は無能で良い」と言われ、私は精神的支柱を失い、働く意欲と誇りを喪失したことを今でも鮮明に覚えています。
かような中で、私には当時IT化に失敗した民間企業から、強い支援要請がありました。
ですが当時は、公務員の立場で一民間企業の支援など許されないことでした。
そこで経営者の「生活保障」の確約を頂くと共に、地元企業でもありましたので信頼し、公務員を依願退職、同企業の支援を行うことと致しました。
しかしながら、経営者の約束は全くの虚言に過ぎず、私は生活の糧を失い、家庭は崩壊同然に陥りました。
職を探しても、公務員など雇ってくれる所があろう筈も有りません。
私は己の人生を悲観すると共に、この十年間に何回生死を彷徨ったことでしょう。その度に不思議な現象に救われ、今日まで生かされ続けてきました。
生かされている以上、何か為すべき事が残されているように思えてなりません。
【福島原発事故について】
福島原発事故により、日本列島はおろか、世界中が放射能汚染に見舞われました。事故の重大性からパニックを恐れる余り、政府や東電が情報を隠蔽した事実は誰しもが認めるところではないでしょうか?
危機管理は常に最悪の事態を想定し対策を講じる必要があるのであって、処理に当たっては情報の一元化と共に迅速なる事実確認と的確な対処を要することは論を俟ちません。
真に国民の安全と安心を担う政府であれば、すぐに露呈するような稚拙な隠蔽工作では無く、事実を公表すべきではなかったのかと思う次第です。少々のパニックは後で収拾が可能ですが、国民が放射能に被曝してしまったら取り返しがつきません。国民の生命を守らずして国家は成り立たないのです。
これまでの対処法を見ると全てが後手に回っているように思えてなりません。
事故から早半年近く経ち、事態は深刻化するばかり、放射能汚染は地球規模に拡散しつつある現状にあり、今だ収束の展望さえ見ません。最早、福島原発事故は人類未踏の範疇にあり、これからどのような事態が起るか誰もが予測不能な状態に立ち至っています。
安全神話の崩壊は、科学技術が万能では有り得ない事を物語っており、事故後の対応から政府や東電は国民の信用を失墜したと云えるのではないでしょうか?
【行動隊参加の動機】
今や日本のみで無く、世界の各国は莫大な負債を抱え世界経済崩壊の危機にあるとともに、地球環境はバランスを崩し温暖化など異常気象問題を惹き起こしつつあります。
かような状況下で、国民的立場を忘れ、自己保身のみに執着する政治行政、自力飛翔出来ない人材教育、モラル無き企業経営、利権を貪るマスコミ等々で、果たしてこの閉塞感を打破し、日本再生が有り得るのでしょうか?
地球は一部の人間だけのためにあるのではありません。地上の生物は皆、共生関係にあり、お互いに支え会って生きています。これらの生物が絶滅に瀕する時、人間だけが生き残る事は許されていないのです。地球はあらゆる生物の母体であることを忘れてはなりません。
この地上に生物が出現して以来、生命を育んできた先祖たち、そして未来に生命を与えられるであろう子孫たちの為に、我々は過ちを正し、一刻も早い事故収束を計る義務が有ると考えます。
【未来を担う若人へ】
「夢」「心」「歴史」を失った民族は確実に滅びるとされます。
即ち、夢を失った民族、物にばかり囚われて心の価値を失った民族、自国の歴史を忘れた民族に、未来は有り得ないのです。
我々の先祖は自然サイクルの中に「循環と再生」を見出し、自然と共に生きる叡智を悟り、世界最古の稲作文明を築き上げた世界に比類無き誇り高き民族です。
先祖は「力と闘争」では無く、「美と慈悲」に目覚めたのです。「力と闘争」を推し進めれば、人類破滅と破局を迎えるのは必至です。真に平和と繁栄を願うには「美と慈悲」へと思考転換が求められているのです。
我々には、古より受け継がれてきた「和の心」「思い遣りの心」があります。恨みや嫉みそして憎しみ、悲しみなどからは何も生まれないのです。
地球は意思ある生命体です。我々の思いは地球にも通じております。地球に崇敬の念を抱く時、必ずや地球は我々を守る筈です。なぜなら我々の身体は地球の一部であり、分身だからです。そこに言葉や知識など無用なのです。
地球のご加護があらんことを・・・
皇紀2671年 8月