水野行雄/賛同者の思い

 

(2011.8.18執筆、2012.3.10修正)
私は現役時40年間、石油精製装置の建設・運転に携わって国内を転勤しました。装置運転は安全操業が第一でしたが、火災・爆発・ガス漏れ・油漏れ、酸欠・ガス中毒等々数多くの事故に遭い、怖い思いをしながら緊急停止するという経験を何回もしましたので、大型装置産業の運転員の大変さは、よくわかっていました。又現役時代から、地球環境破壊の事も気になり、環境保護NPO「地球村」に属し、活動していましたので、チェルノブイリ事故もよく分かっていましたし、六ヶ所村も見学して、放射性廃棄物が、下水のないトイレ状態で埋蔵されている異様な、気味悪い場所が有ることも心配していました。退職後は事故を知らす呼び出しがない、安らかな生活を送ってきました。介護ヘルパ-2級を取得し、介護福祉の仕事に就いたり、高齢者や身障者の生活ボランティアとして、掃除・洗濯・草引き・剪定・野菜作りから日曜大工・パソコン操作に至るまで、所謂便利屋をとして多くの人と出会い、少しは日本の為に役立つことをしてきたなと、思っていました。

ところが—-。3/11福島原発事故を見て震撼しました。冷却水が止まって爆発しているのに「水素爆発しましたが、問題ありません」と技術系なら誰でもわかるウソ報道がされました。私はとんでもないことが起こったと判断し、覚悟をしました。その後政府の情報隠しや、情けない対応続きで右往左往が続きました。私がこの世にいるのは、親(先人)から引き継いだものをもっと良くして、子(次代)に引き継ぐ役をする為のはずなのに、この原発事故は一瞬にして、子子孫孫に負の巨大遺産(1000+α兆円の国債、55基+αの原発の始末、被爆した福島県の故郷と海洋汚染の始末、何もかも失われた原発避難民の方の生活、日本国の品位を失墜させたこと等)を残したことに気付き、俺は何をしてきたのだ。核の怖さ、廃棄物処分の厄介さを知っていたのだから、核反対の活動をすべきだったのだ。子供達に本当に申し訳ないと後悔しきりでした。これからは子孫への負の遺産を少しでも少なくすることに、もうひと頑張りしようと考えました。

世界を震撼させ、未だに収束しない原発事故現場で、事故発生以来、献身的に働いている運転員・作業員の方々のご苦労が目に浮かび、同じ装置産業の体験者として、この方たちを励ますことをしようと考え、ブログ検索をしていた時に、「シニア決死隊」の事を知り、その考えに感動し、「これだ」と思い、何が出来るかわからないまま、とりあえず賛同者として登録しました。私たちは核の加害者になってしまいました。世界を破壊するかもしれない福島原発事故処理は、日本人にしか出来ない事で、政府が悪い、誰が悪いと言っている場合ではない。全国民が一体となって、何が何でも一刻も早く収束しなければならないものだと思います。収束の為に、何でも良いから、私に出来ることをしたいと考えている次第です。